政党内閣の崩壊と国際連盟脱退: ロンド

政党内閣の崩壊と国際連盟脱退: ロンドン軍縮問題?「満州事変」などをきっかけに、軍部の青年将校や右翼は、日本の行き詰まりが、元老?重臣?財閥?政党などの支配層の無能と腐敗にあるとして、これらを倒して軍中心の強力な内閣を作り、内外政策の大転換を図ろうとしたのである。1931年には三月事件?十月事件が起こり、翌年の2-3月には井上日召(1886~1967)の率いる右翼の血盟団員が井上準之助前蔵相?団琢磨(1858~1932)三井財閥幹部を暗殺し(血盟団事件)、5月15日には海軍青年将校の一団が犬養首相を射殺するという事件(五?一五事件)が相次いだ。
换一下

Advertisements


随心学


 この湾岸戦争の反省から、海部内閣は内閣は人道的援助と”武力行使を伴わない後方支援”を柱とする「国連平和維持活動協力法案(PKO協力法案)」を1991年に国会に提出した。議論の焦点は平和維持軍(PKF)への参加の是非にあり、国際貢献のあり方をめぐって激しい議論が展開されたが、「武力行使を伴わない後方支援」を条件に、1992年6月に多数決で可決された。