明治以後の日本における科学のこのようなあり方は、西
明治以後の日本における科学のこのようなあり方は、西洋近代文化を受け入れる基本的な姿勢から出ている。「富国強兵」の手段としての近代産業?近代軍備の育成の、そのまた手段としての近代科学の受け入れは、おのずから自然科学及び応用技術の研究に偏り、人文科学?社会科学の研究には消極的に流れることを免れなかった「富国強兵」の目的を達成するために、資本主義生産様式の採用が不可避であることが認識せられていた限り、上からの資本主義培養に必要な限度で法律学?経済学などをも学びとらねばならなかったから、幕末の洋学のように、人文科学?社会科学部門を完全にシャット-アウトするわけにはいかなかった。とはいうものの、天皇制国家の政治的?軍事的発展に奉仕できるという条件に合致しないものはやはり排除されることを免れなかったのである。「東洋の道徳、西洋の芸」という幕末洋学のあり方が、根本的にはそのまま存続していたと見ることもできよう。
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