さらに意次は、江戸や大坂の商人の力
さらに意次は、江戸や大坂の商人の力を借りて印旛沼?手賀沼の大規模な干拓工事をはじめるなど、新田開発を積極的に試みた。また仙台藩の医師工藤平助(1734~1800)の意見を取り入れ、最上徳内(1754~1836)らを蝦夷地に派遣して、その開発やロシア人との交易の可能性を調査させた。意次の政策は、商人の力に依拠しながら、幕府財政を思い切って改善しようとするものであった。これに刺激を受けて、民間の学問?文化?芸術が多用な発展を遂げたが、一方で幕府役人の間には、賄賂や縁故による人事が横行し、士風を退廃させたとする批判も強かった。
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