新政府は、中央最高機関としての記録所や、幕府の引
新政府は、中央最高機関としての記録所や、幕府の引付を受け継いだ雑訴決断所などを設置し、諸国には国司と守護を併置し、天皇親政の政治機構を整えた。しかし政府の内部では、討幕の功労者足利尊氏と護良親王の対立が激しかった。護良親王派の北畠顕家が天皇の皇子を奉じて奥州に陸奥将軍府をつくると、尊氏の弟直義(1306~1352)も同じように皇子を奉じて関東を管轄する鎌倉将軍府をつくった。これらはいずれも小幕府的な存在で、天皇の理想とは相容れないものであった。
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