日本で、憲法の制定がはじめて問題になった
日本で、憲法の制定がはじめて問題になったのは明治維新後のことである。徳川幕府による統治構造を打破したのち、日本は新しい国づくりを試みることになった。こうして国民の中から自由民権運動が起こり、欧米諸国がすでに持っていた憲法にならって、日本国でも憲法を制定して議会を開設し、人権を保障する政府形態を作るべきだ、と主張するようになった。当時の政府当局も近代国家の形を整え、欧米諸国に伍していくうえで、憲法の制定は必要だと考えた。しかし、政府にとっては、天皇を統治の中枢にすえた、中央集権的な強力国家を作ることが最重要課題であった。アメリカ合衆国やフランスのように、市民革命によって古い政治機構を一揆に倒したところで制定された憲法は、明治政府の人々にとっては余りにも民主的、自由主義的でありすぎて、日本に相応しくない。そこで、君主がなお依然として政治の中心にいて強い権力を有したままになっているプロイセンなど当時のドイツ諸邦の憲法は、日本国の憲法のモデルに選ばれた。こうして1889年(明治22)に大日本帝国憲法(明治憲法)を発布した。これは欽定憲法であり、富国強兵の天皇制国家を目指した立憲君主制の憲法であった。
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