幣原外交を批判してきた立憲政友会も1
幣原外交を批判してきた立憲政友会も1927年に政権につくと、欧米諸国との協調は維持し、同年ジュネーヴで開かれた日?英?米の3国が補助艦の制限のための海軍軍縮会議(ジュネーヴ会議)に参加したが、交渉はまとまらなかった。翌1928年にはパリで不戦条約にも調印した。しかし、中国政策では全国統一を目指して北上する国民革命軍から親日的な東北軍閥の張作霖を守ろうとして、日本人居留民の保護をかねて、1927-1928年に3次にわたる山東出兵を行い、強硬外交に転じた。また1927年には、中国関係の外交官?軍人などを集めて東方会議を開き、中国における日本権益を実力で守ることを決めた。1928年の第2次山東出兵では中国国民革命軍とのあいだに武力衝突が起こり、日本軍は済南城を占領した。さらに関東軍の一部は北伐軍におされて東北に帰還する張作霖を奉天郊外で爆殺して、東北占領を試みた。当時、事件の真相は国民に知らされず、「満州」某重大事件と呼ばれた。
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