天声人语 20111005 柠檬哀歌
本帖最后由 reiuka2 于 2011-10-5 10:03 编辑柠檬哀歌
2011-10-5
世に知られた文人の命日には色々と名がつく。たとえば芥川龍之介は河童(かっぱ)忌、正岡子規は糸瓜(へちま)忌。梶井基次郎は小説の題にちなんで「檸檬(れもん)忌」と呼ばれている。同じ名の「レモン忌」がもう一つある。高村智恵子の命日で、きょうがその日になる。
人们给著名文人的忌日加上了各种名称。如芥川龙之介的叫河童忌,正冈子规的叫丝瓜忌,梶井基次郎的忌日因其小说的标题而被称为“柠檬忌”。同样被称作“柠檬忌”的还有一位文人的忌日,她就是高村智惠子,而她的忌日就是今天。
死の際(きわ)をうたった夫、高村光太郎の絶唱「レモン哀歌」は名高い。〈そんなにもあなたはレモンを待つてゐた/かなしく白くあかるい死の床で〉と始まり、〈写真の前に插(さ)した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう〉と結ばれる。一字一句を愛誦(あいしょう)している方もおられよう。
她的丈夫高村光太郎吟诵她去世时情景的《柠檬哀歌》是首名诗。诗的开头是这样写的:“那一刻你还在等待柠檬/在哀伤、雪白、明亮、死亡的床上”,而诗的最后则是:“插在照片前的樱花枝下/今天也放上水灵灵的柠檬”。据说有的读者会把这首诗一字一句反复朗诵。
智恵子で思うのは福島の天地である。いまの二本松市で生まれた。〈あれが阿多多羅山(あたたらやま)/あの光るのが阿武隈川〉。あるいは〈阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ〉。どれも光太郎の詩の一節だ。
智惠子让我联想到福岛这片土地。她出生于现在的二本松市。“那是阿多多罗山/闪闪发光的是阿武隈江”。还有“阿多多罗山上/每天升起的蔚蓝天空/智惠子说那才是真正的天空”。这些都是摘自光太郎诗作中的诗句。
死して73年、光太郎の詩集「智恵子抄」から70年、故郷福島は原発禍に苦しむ。観光もふるわない。智恵子記念館の3月から8月の来館者は、去年の1万6千人の約2割に減ったそうだ。
智惠子去世73年,光太郎的诗集《智惠子抄》出版70年后,故乡福岛遭受了核电事故造成的灾害。旅游业也深受打击。据说今年3月到8月来智惠子纪念馆参观的人数下降到只有去年同期1万6千人的约两成。
紅葉に染まって「山粧(よそお)う」季節だが、森林では放射能汚染の調査が続く。除去されて土に還(かえ)れぬ落ち葉もあるという。智恵子と光太郎は天上で何を思っていよう。
又到了红叶满山“群山红妆”的季节,然而当地的森林里核污染的调查工作还在进行。据说有些落叶要被销毁,不能回归到土壤中去了。不知智惠子和光太郎在天界得知此事会作何感想。
詩の中では、レモンの数滴が智恵子の意識をぱっと正常にする。例えは美しすぎるが、私たちもまた目を開いたのではないか。核はやはり命の営みとは相いれないと。「ほんとの空」を汚しては、人は生きていかれない。
在诗中,几滴柠檬让智惠子的神志一下子就清醒了。举的例子虽然过于美丽,但我们现在已经重新看清楚了,核能跟自然生命还是不相称的。如果把“真正的天空”污染了,人类将无法生存下去。